私は、この肉体の最後に思うことが決まっています。

 

「なんか、あっという間だったな」
「けっこう楽しかったよな」

 

わたし死ぬときそう思って死ぬんだろうな
って感覚が、わたしのなかには確信に近い感じで存在してます。

 

 

ちいさいころからなんですよね。

そうなると知っている、というような
なんかもうすでに起こったことで
過去を思い出すような感覚なんです。

 

 

「あっという間だったな」って
自分の数十年の人生を思い返している自分の感覚。

終わるなあ、って感覚と、
「よかった」というような、その充足感。

 

 

ちいさいころからこれって変わらなくて、
たぶん、それ以外の死に方ってないだろうなと思えるほど、
確かなものとして存在している感じ。

 

 

 

生きることが
「まあ、どうなっても大丈夫だよな」って感覚があったのも、
だからなのかもしれません。

 

死ぬとき「あっという間だった」って感じている
その、すこし驚いているようなその感覚を思い出すと、

人生に起きるいろいろなことも、
なあんか、たいしたことじゃないよな、という気になるんですよね。

そういえば、
何か大きいことに挑戦するとき、
死ぬときの「あっという間だった」の感覚を思い出して

だからたいしたことない、って
進んできていたような気もする(笑)

 

 

死ぬときの自分にとって、
「十分な人生だった」って思えるなら、

今の人生も
その「十分に幸せだった人生」の一部なわけで。

 

 

人生の最後に
「あっという間だったけど、幸せだった」っていう
そのひとことだけに集約されていく

なんかもう、それって圧倒的で

私の人生、幸せになるしかないんじゃん・・・

ってあきらめるしかなくなるくらいなんです。

 

 

そういう意味では
「幸せだった人生」って、
私の中では決定事項なんですよね。

 

私ははじめからその感覚があったからそう思ってきたのではあるんだけど、
いまから決めたっていいと思います。

「幸せだった」って
それを自分の人生へ最後に思うことに決めたら、
幸せな人生に向かうしかなくなるから。

 

思い出しきれないくらい
しあわせなことがたくさんあった人生にしようとか

「ずいぶんやったなあ」って
自分であきれるくらいいろんなことに挑戦した人生にしようとか

 

 

そう決めると
人生の逆算がはじまります。

 

そうなるには、
今 どうするか?

どう生きるか?

 

 

未来は、「いま」になって
自分に戻ってきます。

未来を決めるって、
今を決めることでもあるから。

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