昨日の時間についての話、、、
そういえば。という続きです。

 

最近、私の時間の感覚、、、って、なくなってきてます。

 

もともと時間の感覚は薄かったとは思うんですけど、

 

余計に消えてきてますねー。

 

クリアランス・メソッドやってるせいですね。言い方によっては副作用かな!?

あ、一応日常生活に支障はないです(笑)

 

「過去の自分」という感覚が消えてしまうせいでしょうね。

クリアランス・メソッドで「自分の根本にある前提を変える」のって、
ある意味「今まで自分と思ってきた自分を手放す」ことでもあるんです。

それはまた、
過去の自分の感覚を再生するのではなく、
「今」という意識に戻ってくることでもあります。

 

すると、「自分」という存在の連続性がなくなってくるんです。
なんかね、
たとえば前の自分の感覚が、

まったく別人のような感覚になるんです。

思い出すのすら難しいくらいだし。

 

「昨日の自分」と「今の自分」のつながりの感覚も薄くなってくる。

 

 

なんか、「今」だけがある感じ、って、

「過ぎていく」って感覚がないんですよ。

 

 

 

時間の感覚って、

 

過去・現在・未来 と

時間が流れている

という感覚ですけど、

 

その「流れている」感じがなくなってくる、というか。

 

まあ、シンプルというか、気楽ですけどねぇ。

 
とはいえ「肉体をもちながら」時間の感覚がないのって、

やっぱりちょっと不思議な感覚です。

 

肉体のないときの「時間の感覚のなさ」はまたちょっと違うんです。

肉体のない時の「今」の感覚って、
過去・現在・未来がすべてそこにあって、全部をまとめて感じているような感覚なんですよ。

「今」の感覚の情報量が違うわけです。
単純に考えても数千倍とかそれ以上なんじゃないかな。

 

肉体を持ちながらの「今」って、
それに比べるとすごく狭いんです。
あ、なんか、視界の感覚が。

肉体を持ちながら知覚できるものって、
かなり制限されるんだと思います。

 

その制限の中で「今」という中にいるのって、
まわりが見えない感が半端ないというか。

 

 

ま「見えねーや」と感じるくらいで
次の瞬間がわからないことのワクワク感という感じですけれどね。
(ある意味地球独特かなこれ)

 

なんか新鮮な感覚なのよ。面白い。

なかなかこの感覚は好きです。
「冒険している」感。

 

 

 

時間、というのも地球の体験のための装置みたいなものですね。
自由になったら自由になったで、別の楽しみ方がありそうです(笑)