前のブログを書いていたとき、

「明里さんは、人間が嫌いなわけではないんですね」

と言われたことがあります。

 

そうなのよねぇ。

 

前のブログは地球での違和感だったり
地球のこれっておかしくない?ってことを書いていたんですけど、

 

でも、人間が嫌いなわけではないんですよね。

 

 

 

人間、は、
わりと好きですよ。

 

もしかしたら、
普通の人より「人間は好き」かもしれません。

 

あ、
「たくさんの人と過ごすのが好き」とか
「コミュニケーションするのが好き」というよりは

ひとりが好きなタイプではあるんですけれど(笑)

 

 

 

なんていうか、

人間という存在は好きです。

という感じ。

 

 

 

 

 

だってね、

 

 
人間の奥って、

とても優しいから。

 

 

 

もちろん私も今は「人間」という存在ではあるのだけど、
「人間」という存在はどこか遠い違う存在のように感じてもいて、
遠くから眺めている感覚でもあった私は、

 

「猫って気まぐれだよね」とかいう感覚で、
「人間って、奥はすごい優しいなぁ」とずっと思ってきました。

 

 

あ、目に見えるところの話ではないです。

行動とかでも、
一人一人の性格でもなく、

それすらも関係なくなるくらい、
奥の奥までいったところの話です。

 

 

「あのひと優しいよね」と言うときの「優しい」ではないんですよ。
そういう行動とか行為とかではなくて、

人が生きている動機の部分(の、さらに深いところ)というか、
人が深いところに抱えている想い(の、さらに深いところ)というか。

意識できる部分ではないところだと思うのですけど、

 

奥にあるものは、
ほんとに、とても優しいです。

 

 

なんでそう感じてきたんだろう、、と考えてみたんだけどさー。

遠くから見てたせいではあると思うんですよね。

 

なんかね、
こういう感じ方をしているときって、
ひとりひとりという「個」ではなく
「人間という存在」という集合体として見えているときなのですけど、

 

そういう集合体として見たときに、

人間の魂というか、
人間という存在を芯で支えて動かしているものが

「なにか、とてもやさしいもの」

であるのが見えるというか、感じるんです。

自分の意識としてはそう感じてない人も多いのだろうけど、
人間という存在の方向性って、
「世界の幸せ」の方向を願い、それを目指して動いているように見えます。

 

 

 

 

 

 

「どんな人も」です。

 

 

 

優しくなろうとして、

必死に頑張っていて、

 

 

 

その優しさが傷ついたせいで、

ゆがんでしまっていたりもしているけど、

どこかでは必ず、ゆがんでしまっている自分に苦しんでいたりする。
無意識の部分で、自分が愛でいられないことに苦しんでいるんです。

 

 

そういうのを感じるたび、

人間って、なんて優しい存在なんだろう・・・と思います。

 

 

 

 

人間って、優しいよ。

ほんと、幸せになってくれたら、いいなぁ。