「絵の具」の例えって、そういえば何度か使っています。

絵の具そのものを「魂」に例えて、
絵の具によって書いた絵を「世界」に例えたりするんです。

 

絵の具と絵、っていうのが、
感覚的に私が人生に感じているものと近いからでしょうねー。

 

魂って、絵の具に似ているんです。

 

ひとつの絵を描くとき、
色々な色の絵の具を使いますね。

一つの色だけでは多彩な絵は描けません。

でも、
ひとつの絵の具だけでは絵が成り立たないからと言って、
ひとつひとつの絵の具が「それだけで価値がないもの」か、というと、違う。

その色でなくてはいけない。
その色だからできることがある。

むしろ、ひとつひとつの絵の具が違っていなくてはいけない。
違う色だからこそ調和するんです。

 

また、混ぜ合わせることで
新しい色ができたりする。

それによって、
より豊かな絵が描ける。

こういうのが、
地球で生きているひとつひとつの魂の在り方に、とても近いなあと。

 

で、

その違う色の絵の具によってできた絵が、
この世界。

 

大きな大きな、絵、ね。

 

 

 

あ、でも、
私の感覚では、なんですけど、

 

なんかね、

一瞬一瞬が「絵」なんです。

 

 

「完成させていくもの」ではないんです。

「こういう絵を描きたい」って思って
完成に近づけていく絵、という感覚ではなくて。

 

 

 

万華鏡みたいに、
次の瞬間には変化している、
「ひとつの大きな絵」という感じです。

一瞬一瞬が「完成形」の絵です。

 
一瞬一瞬のその豊かで美しい絵を楽しむ、
という感覚なんですよね。

 

そして絵の具は、
完成された絵の中に、
自分の存在していた意味を見ます。

絵の具にとっても、
自分がそれだけ美しいものであったことを、
そこで知ることになります。

それまで知らなかった自分に出会います。

 

 

絵って、今までそこに存在してなかったもの。

絵の具をのせていく前は、
何もなかったところです。

だから、ときに、
思ってもみなかった美しさに出会ったりする。

 

 

私の人生や魂へのとらえ方でもあるんですが、

 

私たちの存在というのは、

絵を完成させるため、
なにかを達成するために存在しているわけではないんだと感じるんです。

前に「人生に意味はあるのか?」という問いについての記事を書きましたが、
私にとっては、これが、その問いへの答えかもしれません。

 

「今」というこの瞬間の絵が、
意味そのもの。

 

 

 

ただ、
私たちは、知りたい・見たいのだと思います。

 

私たちは、
どんな美しい絵ができるのかが見たくて、

この「今」という瞬間に存在しているんだろうなぁ、と、ね。

 

 

↓「風のうた」の絵の具の話。

 

 

さあ、どんな絵を描こうか?